6.オーケストラの作法
オーケストラ・プレイヤーがオーケストラに参加する上での、基本的なマナーについてお話しします。楽員のひとりひとりが細心の注意をはらって最低限の作法を守ったとき、そのオーケストラは有機的に機能しはじめるのです。
◇個人の責任を果たすこと
楽器を通して音楽に親しむとき、そしてそれがオーケストラという場であるとき、プレイヤーは必ずひとつの矛盾した問題に直面します。
個人的に「楽器をさらう」ということは、絶対に無理をせず時間をかけ、正しい方法でじっくり取り組むことが、いちばん大切なことです。一方オーケストラなどアンサンブルに参加するということは、個人の基本的な問題はクリアした上で(つまり個人的にさらい終わっているということ)取り組むのが、最低のルールです。
しかし現実には、個人が完璧になってはじめてオーケストラの練習がはじまるなどということは、絶対にありえません。
オーケストラ・プレイヤーはこの難問題に対して、前向きに取り組み解決しなければなりません。
各個人の最終目標設定が「奏けるようになること」にある限り、この矛盾はどうやっても解決しないでしょう。「奏けるようになること」というのは、どう美辞麗句を並べたところで結局「とりあえず音符を音に置き換えること」に過ぎません。つまり、せいぜいクォンティティの問題でしかないのです。
プレイヤーの最終目標設定が「どのように表現するのか」というクォリティの問題になったとき、そしてその追求が極めてハイレベルになったとき、はじめて各個人の姿勢とオーケストラの姿勢が調和するのです。
要するに、各個人の「さらい」の目標設定をかなり高めに置くことによって、「さらい」のスケジュールがかなり前倒しとなり、結果的に、オーケストラの初期の練習時には既に「音符を音に置き換える作業」が完了していて、とりあえず「オーケストラの初期の練習」というレベルはクリアする、ということなのです。
◇ケアレス・ミスを極力なくすこと
オーケストラにおけるケアレス・ミスは、重大な責任問題です。それは、自分ひとりがミスをしたというだけでは済まないからなのです。
いま仮に、リハーサルにおいて、ひとりのケアレス・ミスにより1分だけ、時間が余計にかかったとしましょう。このとき80名がこの練習に参加していたとしたら、のべ80分の時間的損失なのです。
また本番におけるケアレス・ミスでは、例えばソロが落ちたり、アンサンブルが滅茶苦茶になってしまったり、果ては演奏が止まったりすることさえあるのです。
ケアレス・ミスに対してオーケストラ・プレイヤーは、普段から、自分にも他人にも厳しくなければなりません。出した音に対して責任感の強いオーケストラ、ケアレス(careless)ではなくケアフル(careful)
なオーケストラになれるよう、普段から自分たちの意識向上に努めなければならないのです。
プロ・オケのリハーサルの場合、例えば、ごく希に誰かがケアレス・ミスをすると、失笑が起こり練習がストップをします。再開したときにまた同じミスをすると、オケ全体が凍りつき、舌打ちとクレームが飛び交い、険悪なムードで練習がストップをします。さらに万が一、再開して同様なことがあると、まず恐らくこのプレイヤーはクビになることでしょう。
◇常にカウントすること
オーケストラ・プレイヤーは、何時(いつ)如何(いか)なる時にも必ず「アンダー・カウンティング」をしていなければなりません。どんなベテランになってもです。
アンダー・カウントとは、意識できる最小単位の音符で常に数えながら、テンポをキープし、リズムを取り、メロディーを歌うことをいいます。例えばカウントできる最小単位が16分音符の時、付点4分音符は6カウントすることになります。演奏している音を聴けば、そのプレイヤーがアンダー・カウントをしているかしていないか、一目瞭然です。
ときどき、アンダー・カウントを覚えたばかりの人で、イン・テンポの呪縛(じゅばく)を受ける人がいます。テンポを動かすことができないのです。このような人たちは一様に、ショパンのルバート(テンポの揺れ)ができない、といいます。果ては、ルバートのためにはアンダー・カウントは邪魔だ、と曰(のたま)います。でもこれは違います。アンダー・カウントそのものの設定テンポにアゴーギクをつけ、あるいはアッチェレランドをかけたり、あるいはリタルダンドをかけたりすればよいのです。ちょうど、アクセルを踏み込んだり放したりしたときの、車のアイドリング音や、電車のそれみたいなものなのです。
アンダー・カウントに裏付けられたルバートを「テンポの揺れ」といい、アンダー・カウントの裏付けのないルバートを「テンポの歪み」といいます。よく覚えておきましょう「ゆれ」と「ゆがみ」は似て非なるものであることを。
さてアンダー・カウントについては、最終的に、無意識にカウントしているような状態になることが望ましいのです。そうなれば、カウントしないで演奏すること自体が、プレイヤーにとって、とても不快な出来事になるのです。
また、休符の小節数を数えるのも極めて重要なことです。いかに「まる覚え」をしていてもです。これも、無意識に数えられるようにするとよいでしょう。これは「転ばぬさきの杖」効果以外にも、常に数え続けることによって、休符を(意識の)完全休養とせず、最低限の緊張状態を保つことができるからなのです。
いずれのカウントにせよ、最低限のルールもまた存在します。それは「声に出してカウントしないこと」です。
◇音の出だしに最大の注意を払うこと
演奏という面からも、アンサンブルという面からも、細心の注意と最高の集中力を要するのは、音の出だしの時です。例えば難パッセージでも、音の出だしが揃っていればそうは大きくズレませんが、もしも音の出だしからズレていればこれは致命的です。
曲頭であれ、リスタート(再開)であれ、フレーズの頭であれ、最初の音に細心の注意を払ってください。最高の集中力を持って臨んでください。それが音楽のためになることなのです。テンポ、リズム、音程(ピッチ)、ニュアンス、音色、音圧、音のスピード……、瞬間的にチェックする項目は数多くあります。集中力です。それがすべてです。
特に練習時のリスタートの時には、指揮者の指示に集中しておらず、どこからはじめていいのかわからなくなってしまって、落ちてしまう人がときどきいます。実は、これが最低なのです。リハーサルのリズムを崩すのも、こういうひとたちなのです。案外うかつになりやすいところです。注意してください。
◇耳を使うこと
常に音楽的に耳を使ってください。虚心になって既成のイメージにはとらわれず、まわりの音を聴いてください。鋭敏な感性を持って耳を使うということは、音楽に演奏面で関わる人の永遠の課題です。とにかく、よく聴いてください。どれだけいってもいい足りません。放っておくと、耳は怠慢を決め込み、聴かなくなります。使ってください。
元来、人間の耳は極めてファジーで、聴きたくなければ聞こえなくなるものなのです。聴くためには、聴こうとする意志が必要なのです。
だから、まわりの音を聴くことに苦痛を感じるような音響の悪い会場の練習は、無駄であるばかりでなくマイナスですらあるのです。
とにかく、耳を怠けさせないでください。
◇指揮者を見ること
指揮者とは、演奏の、そして演奏会の、最高最終責任者です。余程のことがない限り指揮者は絶対です。指揮者とは、憲法みたいなものなのです。
でも憲法みたいなものですから、本質的には「大枠」でしかありません。日常生活が憲法に縛られる必要がないように、プレイヤーは指揮者に縛られる必要は全くありません。だいたい考えてみてください、プレイヤーにまかされた音楽活動の、ほんの5パーセントほどにしか、指揮者は口をはさめないのです。残りの95パーセントは、全てプレイヤーにまかされているのです。だから「5パーセントくらいなら指揮者のいうままになってやってもいい」というわけなのです。
さて指揮者は、振り付けに従って踊っているわけではありません。身ぶりを通じて音楽表現をしているのです。
指揮法も、一種のコミュニケートの手段です。指揮者は指揮によって、音楽の何事(なにごと)かを伝えようとしているのです。
指揮をよく見て、指揮そのものが理解できるように早くなり、伝えられた内容を直ちに表現できるようになってください。
最初は、指揮を見るということは、なかなか難しいものなのです。
なお指揮を見るということは、指揮者の手の動きを中心に身体の動きを見ることです。決して指揮者の目を見つめることではありません。もしもそんなことをしたら、きっと指揮者は照れます。
◇コンマスを見ること
演奏者(プレイヤー)の中での最高最終責任者は、コンサート・マスター(コンマス)です。本番中は、副指揮者でもあります。何らかの理由で、本番中に指揮者が指揮不能になったときには、コンマスが代わりに振るのです。
コンマスは、音を出すタイミングのほか、音の性格や音楽の方向、果ては楽曲そのものの捉え方に至るまで、その奏法の中で直接的にプレイヤーに伝えます。
極端な話、指揮には合っていてもコンマスとはズレてしまった場合の方が、まわりからの非難は大きいものなのです。
◇トップ奏者に合わせること
各パート内の奏者は、必ずトップ奏者に合わせなければなりません。音の出のタイミングも、弦楽器の場合は弓のスピードも、更には、身体の動かし方(ムーヴィング)まで合わせるのです。極論すると、ミスや出トチリも合わせなければならない、とさえいえるのです。
◇ザッツを合わせること
アンサンブルの基本には、まず縦の線(ザッツ)を合わさなければならない、ということがあります。音楽時間の同時性です。これは、アンサンブルの人数が増えれば増えるほど難しくなります。このことが、指揮者が必要になる大きな理由のひとつでもあるわけですが、このほかザッツを合わせるのには、奏者が音楽的なブレスを取る方法も有効的な手段として挙げられます。
ブレスを取るということは、音の立ち上がり(音の出)のアウフタクトで息を吸うことにより、その音楽を身体で感じ取ることをいいます。ですからブレスを取るということは、管楽器、打楽器、弦楽器の区別なく、必要なことなのです。
さてブレスには、1拍ブレス、2分の1拍ブレス、3分の1拍ブレス、瞬間ブレスなど、いろいろあります。一般的にいって、短いブレスのあと息を止めている時間が長いほど、シャープな音になり、長く深いブレスでほとんど息を止めている時間がないほど、重い響きの音になります。
◇音程(ピッチ)を合わせること
指揮者がどうあがいても助け船を出せないことに、音程(ピッチ)の問題があります。
そもそも指揮者から「そこの音程」といわれるよりも前に、楽員同志、既に問題にしていなければならない事柄なのです。特に管楽器は、顔を寄せあうようにしてまで、この問題に取り組まなければなりません。
根本的な次のことがらを、常に念頭にいれておいてください。
練習時にしばしば音程合わせをしますが、このとき、音楽のキャラクターに沿った方向の音を出して、音程を合わせる必要のあることが理解できるでしょう。
◇ニュアンスを合わせること
オーケストラで演奏するということは、最終目標に「どのような音楽表現をするのか」ということがあります。そのためには、テンポ、リズム、音程、音色のほか、ニュアンスの問題が徹底していなければなりません。
あるフレーズを演奏する上で、音楽の山はどこか、音楽の谷はどこか、音楽の進む方向はどちらか、などなど、分析的に押さえた上で、たっぷりニュアンスをつけた演奏が望まれるのです。
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