8.予算立案について
予算とは「活動を経済面で支える総ての計画」のことをいう。だから、単なる数字の羅列にしか見えない「予算案」というものは、その実、そのオーケストラ(以下オケ)の経営上の考え方やポリシーを、いちばん端的に表している企画書なのである。本稿では、アマチュア(アマ)オケの予算の立て方について、その考え方を中心に述べることとする。
楽団の予算立案に際しては、前もって以下の前提を確認しておかなければならない。またそのうえで、楽団の活動基本方針を策定しておかなければならない。なぜならば、予算案とは活動基本方針を経理面で具体化する計画だからである。
◇活動全般の洗い出し
予算立案に際し、楽団活動における全行動(活動)を、前もって洗い出さなければならない。ここでいう行動(活動)とは、総ての楽員がかかわる全体活動(音楽活動など)と、スタッフのみがかかわる経営活動を指す。
楽団活動というものは、それぞれの楽団によって経済規模の差こそあれ、それなりの運転経費(コスト)がかかるものである。よって活動項目を洗い出すということは、予算項目を洗い出すことと近似的である。
この活動全般の洗い出しとは、アマオケとしての楽団が地域社会のなかで活動するときの、活動の可能性の幅を確認する作業のことである(実際にどれだけの活動をするのかは、予算立案の前提の確認を終えた時点で決めればよい。実務作業としては、この洗い出し作業によってリストアップされた全活動のなかから、楽団環境に合わせて取捨選択をすることになる)。
楽団活動の総てを見渡すことによって、どのような経営をするべきかをつかみ取るのである。この活動全般の洗い出し作業は、次項経営活動の見直しへの資料提供の作業でもある。
◇経営活動の見直し
楽団が現時点で展開している活動も、決して楽団の現状に適合したものではないだろう。また楽団そのものも、決して理想的な状態とはいい難いはずである。そこで、経営活動という観点から楽団の活動の見直しをしなければならない。
見直しの方法としては、理想的な楽団状況を思い描き、そのうえに楽団の現状を重ね合わせ、楽団の目指す方向を確定し、それに向かって漸進するための経営活動を規定し、現実の経営システムの改善を図るというものである。
この見直すべき経営活動については、まず中長期的なものを策定し、そのうえで短期的なものを策定するようにするとよい。
この経営活動の見直しとは、まぎれもなく楽団経営基本方針の策定にほかならない。
◇経済的制約の見定め
楽団維持費としての団費の個人負担上の常識的な限度額や、入場券売り上げの予想額(上限および下限の予想を含む)、チケットノルマにする場合の常識的な限度額(ここではノルマの総額を指すが、ノルマに関しては合計枚数にも限度がある)、さらには助成金の予想額などが、確定情報も含めて前もって明らかにしておかなければならない。
この経済的制約の見定めは、慎重におこなわなければならない。少なくとも、過去の数字にとらわれるようなことがあってはならない。それは、今までの数字に思いのほか余裕のあることが判明したり、かなりリスクの多いものであることが判明したり、まったく根拠のない数字であることが判明したりするからである。
◇相場の認定
支出・収入の両面にわたり、各予算項目の相場をリサーチしたうえで設定範囲を決定しなくてはならない。
各予算項目の相場のリサーチは綿密におこなう必要がある。それは、ここで調査した予算項目の相場が、直接、予算立案のうえでの数字の根拠となるからである。
このとき、各予算項目の価格設定範囲のほか、考えられる数量についてもおさえておく必要がある。ここでいう数量とは、楽員数であり、リハーサル日数であり、エキストラの人数であり、必要な備品数などである。
◇タイミングの設定
ほぼ総ての運営活動には、いちばん効率のよい「時(とき)」というものがある(活動の種類によって、最適である時期または期間の時間的な幅には、大きな開きがある)。この「いちばん効率のよい時」をはずすと、ほとんどの活動が金銭的なリスクを負うことになる(社会的信用を落とすことにもなる)。
卑近な例には、公演直後に発送する関係各位宛の礼状発送を失念してしまい、かなりの時間が経過してからあわてて速達で郵送した、という場合が挙げられる。このとき、この速達料金に何の意味があったのだろうか。これなどは、タイミングをはずして金銭的リスクを負ってしまう、典型的なパターンである(蛇足だが、速達郵便を受け取った関係者は、この速達を開封するまでは「いったいどんな急用が起きたのだろう」と考えるはずである。そして開封後は「礼状を速達で郵送するとは、この楽団はいったいどんな感覚をしているのだろう」と不審がるに違いない。これなどは、タイミングをはずして信用が失墜してしまう、典型的なパターンである)。
ともかく、総ての経営活動項目ごとに時間的なデッドラインを設定し、その少し前に最終チェックポイントを定め、さらにそれ以前に2次目標ポイントや1次目標ポイントを設定して、楽員に公表するのである。そして、何があってもデッドライン以前に完了させるよう努力するのである。
以上、予算立案の前提の確認について述べてきたが、要するに前提確認作業とは、楽団の理想像を細部にまでわたって描きあげ、しかる後に楽団環境や楽団の現状を分析し、この両者を照合しつつ中期的な経営方針を策定し、さらに経済的・人材的・時間的制約を加味した予算案立案条件を導き出す、というものなのである。またタイミングについては、リスクマネージメントの資料として活用することになる。
以上の確認は、一見、予算立案とのかかわりが直接ないようにもみえるが、必ずおこなわなければならない作業である。多くの楽団でみられるように、過去の予算案の丸写しだけは、絶対に避けなければならない。
予算項目にはいろいろなものがある。以下に、予算項目(歳入・歳出)の意味や意義について、簡略に解説することとする。
◇繰越金
さすがに社会人オケでは少ないが、学生オケでしばしばみられる現象に次のようなものがある。それは「歳入項目に前年度繰越(繰込または繰入)金が計上されているのにもかかわらず、歳出項目に翌年度繰越金が計上されていない」というものである。このようなオケのスタッフは異口同音にいう「お金があまっているのだから、なにも余分なお金を集めたり残したりする必要などない」と。
あたりまえの話だが、繰越金とはありあまった余分なお金などではない。繰越金とは、経理上の基礎体力のようなものなのである。
繰越金の主な運用としては、ある支出項目について財源からの資金調達が充分でないときに、一時補填することが挙げられる。たとえば、公演会場の使用料納入などがこれにあたる。多くの場合、公演会場の利用予約受付は、利用予定月の6カ月ないし1年前に設定されている。そして使用料納入時期が、利用予約後1週間以内などの規定をもつ会場も多い。しかしこの時点では、該当公演の制作費の財源はまったく調達されていない場合がほとんどである。そこで繰越金から立て替え払いをすることになるのである(財源調達後、繰越金に返金)。
また繰越金は、公演キャンセルなど不測の事態における保険の意味あいもある。
たとえば、公演当日に搬送中の楽器車が交通事故に巻き込まれたりして公演開催が不可能となったとき、楽団はまず入場券の払い戻しをしなければならない。たとえ楽員が定価の半額で販売したチケットであっても、全額払い戻しをするのである。また、外部から招聘した出演者(指揮者・ソリスト・エキストラ)には、契約にしたがって出演料を支払わなければならない。業者に関しても同様である。このほか公演会場の設備使用料についても、そのほとんどを支払わなければならないことになるだろう。
このような事態を想定したとき、繰越金は事業会計(=公演予算など)1回分相当額程度が必要となってくると考えられるのである。
なお、繰越金の一部を固定(定期預金など)して運用するのも、建設的な考え方である。
◇予備費
予算とは、楽団活動予定に基づいて計画された経理プランである。重ねていうが、あくまでも「予定」を前提に立案されたものである。しかし実際には、必ずしも予定どおりに運営できるとは保証できない。つまり予定の変更など、いつでも起こりうることである。そしてこのことは経理上、直接、金銭的なリスクへとつながることになる(数字の精度が高い予算案ほど、予定変更による修正がききにくく、プラン自体にダメージを受けやすい)。そこで予算立案に際しては、総予算のおよそ10%の額を予備費として予算計上しなければならない。
予算立案のうえでの楽団予算の予備費とは、たとえば印刷物の余白であり、紙工作の糊しろであり、ハンドルなど(機械)の「あそび」なのである。つまり楽団予算にとっての「必要な無駄」なのである。
このような予定変更を受けて、シーズンを半ば消化した時点で補正予算案を組み直すことになるが、このとき予備費はこの補正予算の財源にもなるのである。
◇一般会計と事業会計
楽団経営における一般会計とは日常的な活動の運転経費を、事業会計とは公演や合宿など特別な事業の制作費をいうが、この両者を厳密に区別するのは難しい。それは、日常的な活動自体が公演事業の制作にあたるからである。
現実的な区別の方法を事業関係に注目して解説する。
合宿事業は完全に独立した事業なので、その都度の独立採算となる。財源は合宿参加費である。
公演事業費とは、公演に直接かかる経費と制作過程でかかる経費とに区別される。特に制作過程でかかる経費が問題となるが、結論的には、日常の活動における諸経費のうちの指導者関係費や会場関係費、運搬関係費などについては、公演制作費として考えるのが健全である。公演事業費の主な財源は、チケット売り上げ、各種助成金、協賛広告掲載料などであるが、以上でまかないきれなかった不足分を団費から補填することになる。
なお一般会計は運営事務諸経費を中心としたものとなり、財源は団費の一部ということになる。
◇入団費と団費
入団に際して、楽員登録や支給するアイテムの製作にコストがかかる場合や、事後返却を想定した敷金的意味あいの資金として、入団費を徴収する場合がある。しかしアマオケとしては、入団に際してこのような特別のコストがかからない場合には、入団費を設定しない方がよいだろう。なお入団費は、団費の月額と同程度か、多くても2カ月分以下とすべきだろう。
楽団運営維持費としては、団費を徴収することになる。団費は、一般会計の財源として使われるほか、特別事業会計への補助金としても使用される。なお団費の月額の目安としては、4年制大学新卒初任給の1〜2%、家庭教師(中学生対象週2回各2時間)の月謝の8〜15%といったところである。
◇合宿費
合宿費は、個人経費と楽団経費とに分けて考えられる。
個人経費とは各楽員の宿泊費および食費を指すが、これは楽団会計をとおして宿泊施設に直接支払われる料金である。
楽団経費とは楽団の全体行動にかかわる経費であり、これには以下のものなどがある。交通費(バスチャーター代、公用車経費、通行料など)、運搬費(楽器車チャーター代など)、指導者経費(謝礼、宿泊費、食費、交通費など)、会場費(ホール借用料など)、保険料、事務経費、雑費、予備費(全経費の10%)などを指す(このほか、必要に応じてコンパ代など)。
合宿費は、全楽員からの一律徴収を原則とする。個人的理由で合宿部分参加や全休の楽員には、一部金(不参加日の個人経費)を後日返却するとよい(この方法で楽団経費を確保しなければ、楽団権利は守れないことになる。おそらく、これを採用した当初は不満を訴える楽員もでてくるだろうが、合宿参加率が高まるにつれ不満も解消する。そもそも、楽団公式日程であるリハーサルを欠席しても運営維持費としての団費を納めているのに、楽団公式日程である合宿を欠席したときにだけ運営維持費としての楽団経費の支払いに不満を訴えるのは、完全に矛盾しているのである)。
◇チケットノルマ
多くのアマオケでは、公演チケットの販売促進の一環としてチケットノルマ制を採用していることだろう。このチケットノルマに関しては、その数字の設定に細心の注意を払わなければならない。
チケットノルマにおけるチケット枚数については、各楽員の社交性の違いによりひとくちにはいえないが、あえていうならば10枚が理想的な数字、15枚が努力すれば可能な数字、20枚が死に物狂いになる数字、25枚が残券の可能性を秘めつつ死に物狂いになれる数字である。25枚を超えると販売意欲を殺(そ)がれる。
チケットノルマの合計額の目安としては、4年制大学新卒初任給の10〜20%、家庭教師(中学生対象週2回各2時間)の月謝の 80〜150%といったところ(団費の8〜10倍程度)である。
◇楽団債、積立金、前納金
楽団が高額楽器などの購入を計画したときに、楽員に対して楽団債を発行し、資金調達を図ることができる。楽団債は楽員が相手とはいえ、まぎれもなく借金なのだから、その計画と運用には細心の注意を要する。ポイントは、楽員の理解のとりつけ、完成度の高い債券の発行、管理台帳の充実、資金の途中引き揚げ(途中退団者対象)に対する処理方法、返済期限の厳守などである。期限までに返済しきれない場合にも、楽団基金(繰越金など)を取り崩して一旦返済し、しかるのち再度短期の楽団債を発行するなどしなければならない。
楽員が負担する高額資金であるチケットノルマや合宿費に関しては、日頃から積み立てる習慣をつけておくとよい。経理部門の事務処理は煩瑣(はんさ)となるが、楽員の負担感が軽減されるほか資金回収率も高くなるなど、その効果が高いからである。
また、楽員が負担する各資金の前納を奨めるとよい。楽団にとっては財源確保の安定化につながるからであるが、このとき前納した楽員には何らかのメリットを設けるとよい(たとえば団費6カ月分前納の場合は5%割引など)。
◇年間経費
年間経費とは、狭義には楽団が年間に予算を組む全経費のことを指すが、広義には楽団のうえを経た全経費のことをいう。
広義の年間経費は、学生オケで800〜2000万円、社会人オケで600〜1000万円である(学生オケの方が年間経費が高いが、これは活動日数が格段に多いことと、コンパが多いことによる。公演打ち上げコンパは社会人オケも企画しているが、卒業生追い出しコンパは社会人オケには存在しないからである)。
狭義の年間経費(楽団の経理部門が、計上された予算として扱う経費)については、学生オケで600〜1500万円、社会人オケで400〜800 万円といったところだろう。
楽団スタッフはこの年間経費について、日頃から充分に理解しておかなければならない。そして広報活動や代表活動の際、必要に応じて広義・狭義の数字を使い分けるのである
楽団予算の項目について以下に列挙し、それぞれ簡単に解説する。
◇財源(歳入)
◇支出
公演関係(公演事業費)
1.会場費
a)会場借用料:ホール基本料金
b)付帯設備使用料:楽屋、備品、照明等の利用料金
2.人件費
a)出演料
指揮者出演料:リハーサル指導料を含む
独奏者出演料:本番料のみ、リハーサル料は不要
エキストラ出演料:本番料+GP料+リハーサル料
b)アルバイト料:当日のアルバイト要員への謝礼
c)日当:出演者を拘束した日数についての食費としてなど
3.宿泊費(朝食代金込み)
a)指揮者宿泊費:シティホテルなど
b)独奏者宿泊費:指揮者に準ずる
c)エキストラ宿泊費:上質なビジネスホテルなど
4.交通費
a)指揮者交通費:距離がある程度以上の場合にはグリーン料金も必要
b)独奏者交通費:指揮者に準ずる
c)エキストラ交通費:普通座席指定料金
d)市内移動交通費:ゲストの市内移動にかかるタクシー代など
5.楽譜経費
a)パート譜購入費:市販のパート譜代金および郵送料
b)スコア購入費:市販のスコア代金および郵送料
c)レンタル譜借用費:郵送料を含む
d)楽譜制作費:コピー代、写譜代、製本代など
6.印刷・出版メディア制作経費:チケット、パンフレット等の制作費
7.雑費:ケータリング(お弁当を含む)関係等、雑務にかかわる経費
8.予備費:全経費の10%
合宿関係(合宿事業費)
1.個人経費:宿泊費および食費など
2.楽団経費
a)練習会場借用料:ホール等の使用料
b)交通費:楽員用チャーターバス代や公用車経費など
c)運搬費:楽器運搬車関係
d)指導者経費
レッスン料:規定の額
交通費:普通座席指定料金
宿泊費等:宿泊費および食費など
e)雑費:メンテナンス経費、保険料、土産代、その他
3.予備費:全経費の10%
練習関係(公演事業費に繰り込み)
1.会場費:ホール等の使用料
2.運搬費:楽器運搬車関係
3.トレーナー経費
a)レッスン料:規定の額
b)交通費:普通座席指定料金
c)宿泊費:上質なビジネスホテル(朝食料金込み)
4.予備費:全経費の10%
事務関係(一般会計)
1.事務経費:一般事務関係
2.連絡経費:電話代、郵送料など
3.雑費:雑務にかかわる経費
4.予備費:全経費の10%
代表活動関係(一般会計)
1.接待費:楽団ゲストを饗応するための経費
2.補助金:楽団代表者が自己負担している代表活動経費への補助
3.手当:楽団代表者の手数料
4.予備費:全経費の10%
その他(特別会計)
1.繰越金:翌年度に残す予定の額
2.予備費:各部門ごとに予備費が計上されている場合には割愛
モデルケースとして、以下に公演関係の予算案の支出部門について例示することとする。
◇公演関係予算案(支出)◇
1.会場費 \448,050.-
a)公演会場借用料 \257,500.-
b)付帯設備使用料 \190,550.-
2.人件費 \1,038,000.-
a)出演料
指揮者出演料 \400,000.-(\300,000.-〜\500,000.-)
独奏者出演料 \250,000.-(\150,000.-〜\350,000.-)
エキストラ出演料 \232,000.-(@\29,000.-×8名)*1
b)アルバイト料 \40,000.-(@\5,000.-×8名)
c)日当 \116,000.-(@\4,000.-×29人分)
3.宿泊費 \398,610.-
a)指揮者宿泊費 \139,050.-(@\15,450.-×9泊)
b)独奏者宿泊費 \61,800.-(@\15,450.-×4泊)
c)エキストラ宿泊費 \197,760.-(@\12,360.-×2泊×8名)
4.交通費 \410,000.-
a)指揮者交通費 \130,000.-(@\26,000.-×5往復)
b)独奏者交通費 \52,000.-(@\26,000.-×2往復)
c)エキストラ交通費 \168,000.-(@\21,000.-×8名)
d)市内移動交通費 \60,000.-
5.楽譜経費 \199,230.-
a)パート譜購入費 \76,700.-
b)スコア購入費 \32,530.-
c)レンタル譜借用費 \38,000.-
d)楽譜制作費 \52,000.-
6.印刷制作経費 \428,000.-
7.雑費 \150,000.-
8.予備費 \300,000.-
合計 \3,371,890.-
*1リハーサル料:@\6,000.-/ゲネプロ料:@\8,000.-/本番料:@\15,000.-
予算立案と直接にはかかわらないが、間接的には関係してくる問題について、以下に述べることとする。
◇経費削減における諸注意
指揮者やソリストとの契約の際のアマオケの常套句「うちは貧乏ですから」は、実は言い訳になっていない。
実際の話、ほとんど総てのアマオケはかなり裕福である。裕福でもなければ、あんな放漫経営はできないはずである。
と、まあ冗談はさておき、実際の話(ほんとうのおはなし)、残念ながらアマオケの予算には限りがある。楽団の経理部門は、その中でいろいろな出費をやりくりしているのだから、その苦労たるや大変なものである。いろいろな予算項目のなかから楽団活動に支障がない程度に切り詰め、弾力的な運用をしているのである。楽団活動に必要な備品を購入するため出金依頼をしたとき、経理部門の責任者が鬼のような顔をして「ほんとうにそれが必要なのか」と詰め寄るのは、いたしかたないことなのである。
さて経理部門担当者は、各予算項目から少しずつ予算の切り詰めをしているが、いかんせん少額の項目を切り詰めたところで、確保できる財源はたかが知れている。何かよい方法はないのだろうか。そう、高額の予算項目に目をつければよかったのである。
かくしてプロの音楽家の出演料がねらわれ(不思議と、公演会場費やJR運賃がねらわれることはない)、冒頭の「うちは貧乏ですから」が登場する運びとなるのである。
確かに予算立案者の立場からいえば、支出を削減することが健全な経理運用の解決策のひとつである。しかし解決策はこれだけなのだろうか。支出に解決策があるのなら、収入にもあるのではないか。
楽団は公演を企画するにあたり、公演チケットを発行しているはずである。そしてこれは、れっきとした商品であり収入源である。とうぜんのことながら、販売努力をすれば増収が見込まれるのである。増収が見込まれれば、節操のない経費削減は回避される。
では現実には、楽団をあげてチケットの販売努力をしているのだろうか。
結論をいえば、冒頭の「うちは貧乏ですから」の陰には、チケットの販売努力をしなかったツケをゲストの音楽家にまわしているにすぎない、という事実が隠されているのである。
そもそも指揮者やソリストの出演料を値切ることについては、オーケストラという音楽集団のとるべき姿勢という点においても問題が大きい。それは、音楽集団でありながら、音楽の制作にかかわる根本のところから経費削減を図っていることになるからである。これを自動車メーカーにたとえるならば、2800ccの高級車をつくろうとしたら予想外に経費がかかってしまい、しかたがないのでボディーや内装はそのままで1000ccのエンジンに積み替えることにした、というようなものなのである(ところが音楽家とはけなげなもので、1000ccの出演料で2800ccの馬力をだすのである。したがってコストダウンを図った手抜き制作の態度が、誰にもばれないのである)。要するに、音楽家の出演料を値切る前に、公演会場使用料や、印刷経費や、ホテル代や、JR運賃を値切らなければならないということなのである。そこまでやれば、おそらく音楽家も値切り交渉に快く応じてくれることだろう。
さてここまでいえば自明だろうが、たとえば音楽家の出演料を値切りながらも、いっぽうで楽団経費での接待(饗応)をおこなうということは、本末転倒していることになるのである(そういう接待にかぎって、普段あまり役に立たないスタッフが突如あらわれ、誰よりも多く酒を飲み、食べ散らかした挙げ句「ただ酒はうまいスねぇ、先生」などとほざき、ゲストの大ヒンシュクをかうのである)。ほんらい接待費があるのならそれを出演料にまわし、決してゲストの出演料を値切るようなことがないようにするべきなのである。
◇チケットの価格設定について
ほとんどのアマオケの公演チケットの価格設定の根拠は、各楽員が知人にチケットを売るときに(チケットの購入依頼を)切り出しやすい数字、というものである。 いまどき、これほど資本主義を頭から否定した価格設定も珍しい。
当たり前の話だが、チケットは商品交換券である。では、どのような商品と交換できるのかというと、コンサートという商品とである。よってチケットの価格設定は、商品の制作コスト(公演制作費)を販売枚数(発券枚数でも会場座席数でもない)で割ったものでなければならない(むろん、この時点で主催者利益は考慮していない)。
常識的に考えて、アマオケの公演制作費は200〜400万円程度、チケット販売枚数は1000枚前後、したがってチケットの価格は最低でも2000円以上ということになる。
ところがここで市場の壁というものが立ちはだかる。
いま楽団の公演チケットを、とつぜん2000円以上に値上げしたら、多くの観客の反感を買うことになる。これは、アマオケそのものが市場を育てなかったからにほかならない。活動歴の長い楽団は、楽団史と年鑑等を紐(ひも)解いて、過去を調査してみるとよい。おそらく、公演チケットの価格設定が当初から根拠のないものであったか、もしくは物価上昇とリンクさせて設定価格の変更をしていなかったはずである(楽団の発達と時代の変化により、当初楽団員のひとりが務めていた指揮者もプロを招聘するようになるなど、物価上昇だけでなく実質の制作コストも上昇しているはずである)。
楽団は、物価という先行ランナーから周回遅れとなっているチケット価格を、何とかスパートさせて追いつかさなければならない。そのためには、向こう何年かかけて徐々に値上げしていくしかないのである。そしてこのことを観客に、体験をとおして理解させなければならないのである(値上げの切り札に「記念公演」がある。つまり記念公演の度に、少しずつチケット価格を上昇させるのである。そして記念公演の次の回の公演も価格を据え置くのである。この記念公演は、いくつか考えられる。たとえば楽団創立記念公演は5年に1度は巡ってくるし、第35回記念公演や第40回記念公演は、年2回公演ならば2年半に1度は巡ってくるのである)。
なお、アマオケのチケット価格が高価(?)なのは、少々アマチュアリズムに反しているとのお叱りがあるかもしれない(この種の発言は、意外と一般観客には少なく、民主的な楽団の楽員に多い)。しかしアマオケの公演というものは、アマチュアの音楽だけが商品ではないのである。そこには指揮者やソリストなど、プロの音楽家の豊かな音楽も、確実に息づいているのである(むしろ音楽的内容の重さからいえば、こちらの方が大きい)。さらには、印刷メディアの印刷はプロの仕事だし、公演会場だって(場末の公民館とは違って)プロフェッショナルユースに耐えうる、その意味でプロ用のものである。確かにアマチュアの音楽に価格をつけるのはアマチュアリズムに反しているのかもしれない。そのかわり同様の趣旨の裏返しで、プロフェッショナルなものには価格をつけなければならないのである。そうでなければ、アマオケの公演にかかわっている多くのプロに対して、あまりにも失礼きわまりないのである。
ここまで説明すれば自明だが、プロの仕事のコストのみを反映させたチケットの価格設定、それが先ほどの「公演制作費を販売枚数で割った価格」なのである(もしも楽団の著作分に対して少額の利益をのせた場合、チケットの価格設定はもう少し高いものとなる。なお少額の上乗せ金を考えることは、決してアマチュアリズムに反していない。アマオケは、アマチュアとはいえども、観客席側にいる多くのアマチュアとは異なり、アマチュアなりの技術集団なのである。そして、この特殊技能をもって公演を主催するという事業活動をしているのである。とうぜん事業活動にともなうリスクもある。少額の上乗せ金は、そのリスクの保険分として理解すればよい。なお、もしもアマチュアが利益を考えることが不遜だと考えているのならば、依頼公演などで決して出演料を取ってはならないことになる。また楽団そのものも、助成を受ける資格があるのかどうか疑わしくなる。このことが理解できないひとは、「助成=お小遣い」「楽団利益=アルバイト料」と置き換えて、子どもの教育に与える意味を楽団のそれに照らし合わせるとよい。要するに、どちらも多すぎず少なすぎず、バランスのとれていることが肝要なのである)。
◇物価補正
各予算項目は数年に1度見直し、補正改定をしなければならない。
多くのアマオケでは、たとえば公演会場利用料金等の値上げを、何の疑いもなく受け入れているにもかかわらず、負担金の増額をしていない。不思議な話である。このことは、たとえば現在の楽団は必ずしも、10年前と同じクォリティの事業企画を立てているわけではない(実質縮小)ことを示唆している。要するに、何かを省略しているのである。楽団の姿勢としてこのような後退傾向は、あってはならない恥ずべきことである。
楽団予算項目は、物価変動にリンクさせて改定し続ける必要がある。過去30年間のわが国の物価変動は、年間5%前後の上昇というものであった。この数字を基準として2年に1回改定をする場合には、1.05の2乗=1.125 ということになり、およそ1割強の上方修正が求められることになる。
なお、くどいようだが、補正すべき予算項目は歳出・歳入の両面の項目、総てについてである。
◇補正予算
楽団の経理部門は、各シーズンの半ばに補正予算案を立案しなければならない。
さて、シーズン直前(本予算立案時期)の時点では、立案の根拠となる数字の多くが予想値であったのに対し、シーズン半ばまでくると、ある程度の実体をもつ確定した数字が求められるようになってくる。また、この時点までにすでに消化した予算も多い(確定数字が多い)。そこで、補正予算案を組み直すことが求められる。
補正予算を組む時点では、すでに支払い終わったものや金額が確定したものも数多く、これらを除くと不確定要素は意外と少ないものである。またこの不確定要素にしても、すでにシーズンに入って数カ月を経ているのだから、かなり精度の高い概算ができるくらいまでになっているはずである。補正予算は、消費実体に限りなく近い予算案になるはずである。
なお、補正予算を組んだときの資金に欠損がある場合には、公演予備費に補填財源を求めることとなる。
◇指揮者の出演料についての考察
アマオケの公演の予算のなかでいちばんの高額項目は、多くの場合、指揮者の出演料である。確かにたった一晩のコンサートを振るだけで、あんなにたくさんのギャラ(ギャランティーの略。わが国では出演料のことをこう表現するが、実は、フィー=Fee というのが正しい)をふんだくっていくのだから、合法的な強盗に出逢ったようなものである(なるほど、強盗もどきのドスの利いた声で怒鳴られたこともあった)。とにかく高い。
しかし、ほんとうに高いのだろうか。
ではここで、とある指揮者が地方のアマオケを指揮したときの場合を検証してみることにする。
指揮者A氏(31才、独身男性。各地に熱烈なファンがいる)は、地方のアマオケの公演を指揮するにあたり、リハーサル料込み35万円の出演料で契約をした。リハーサル回数にはとらわれないということだったので、アマオケの側は「こんな機会はそうそうはないから、先生には多めに来ていただいて、しっかり練習をつけてもらおう」と考え、交通費や宿泊費などの必要経費を充分に用意したうえで、リハーサルの日程について指揮者との打ち合わせに臨んだ。その結果、リハーサルおよび本番のスケジュールは次のとおりとなった。公演2カ月くらい前から、土曜日、日曜日の2日連続のリハーサルに4回(都合8日間)来ていただき、5回目は金曜日、土曜日のリハーサルをお願いしたうえで日曜日のゲネプロ・本番を迎える。土曜日のリハーサルは午後6時から午後9時30分まで、日曜日のそれは午前10時から午後9時30分まで(充分に休憩をとりながら、午前、午後は分奏、夜間は合奏)、本番2日前の金曜日は午後7時から午後9時30分まで、各回2泊(本番の回は3泊)していただき月曜にお帰り願う、というものであった。
結局A氏は、このアマオケのリハーサルのために土曜日の午前中に自宅を出発し、月曜日の帰宅は夕方だった(とうぜん土曜日も月曜日も、ほかの仕事は入れられなかった)。さあここで問題、A氏の拘束日数はどれくらいになるのだろう。
答は3日×4+4日×1=16日である。それに加えて、この公演のための勉強日を数日設けたり打ち合わせたりで、都合21日を要したのだった。
さて21日といえば、サラリーマンの1カ月の平均労働日数とほぼ同数である。ごく常識的に考えて、30才前後のサラリーマンの平均年収の12分の1と比べ、この額はほんとうに高かったのだろうか(さらに、指揮者とは特殊技能者であることを考慮しなければならない)。
このオケは、思いっきり得をした勘定になる。
次に、長期にわたる指揮者とアマオケとのつきあい方について、こと出演料に注目し検証してみることにする。
指揮者B氏は、都内のとあるアマオケと10年来のつきあいがある。
当時社会人1年生だった各大学オケ卒業者が「今までにないオケを創ろう」と集まって結成されたのが、このアマオケである。30名内外で発足したものだからとうぜん充分な資金力もなく、そこで当時音楽大学3年生で指揮を勉強していたB氏に常任指揮者をお願いすることとなったのだが、これがこの両者のそもそものなれそめである(ここに「学生だから出演料も安くてよかろう」との、安易な考え方が潜んでいる)。
楽員と指揮者の歳格好が近いせいか初めから盛り上がり、「○○さん」「B君」と呼び合う仲にまでなるのは時間の問題で、ひじょうにフレンドリーなオケとしてスタートしたのだった。だから「B君、ゴメン。ギャラ、10万円で勘弁して」との無茶な話にも、学生気分でいた(事実学生だった)B氏は「いいスよ」とお気軽に答えたのだった(毎週日曜日の練習にほとんど総てつきあっていたB氏は、練習後の飲み会での出費が少々痛かったが、それでも初めてまとまったギャラがもらえる喜びがそれに勝ったのだった。しかし9月の日曜日のマチネコンサートには、新調まぶしい白タキ姿のB氏の背中が指揮台上に見られたのである。出演料は、白いタキシードの代金として消えゆく運命にあった)。
月日は流れる。
B氏は、大学卒業、デビューコンサートなどを経験し、いまでは若手指揮者のなかで注目されるひとりとなっている。そのB氏は先日、くだんのアマオケの第20回記念定期コンサートを指揮した。この10年間、皆勤賞である。
公演後の彼の楽屋には、このアマオケの団長氏が「B君、お疲れさん。はい、これ、ギャラ」と茶封筒を手渡す姿が見られた。団長氏が楽屋を退出したあと、B氏は「今回は18回しか(!)リハーサルにつきあわなかったから、ま、仕方ないか」と、茶封筒のなかの12枚の1万円札を見てため息をついていたという。ちなみに彼のプロオケでのギャラは、現在35万円である。さらに、ちなみにこの日のプログラムはマーラーの交響曲第7番、エキストラなし、純粋に楽員だけで演奏したという。
以上の話はフィクションだが、しかしこのような話は日常茶飯事である。この話のなかにはあまりにも多くの問題点が潜んでいるが、出演料に関してだけ考えることにしても根深い問題が存在している。
まず、このように長期にわたるつきあいの過程で、ほとんど物価補正がなされなかっただろうことが挙げられる。
次に、この指揮者の卵が若手注目株になる成長過程で、1度もキャリア補正がなされなかったことが挙げられる。
特に後者が問題で、この間に楽員は所属企業で平社員から係長などに出世していたりするのである(物価への対応にしても、春闘のベースアップがある)。これをこの楽員の個人的姿勢から論じると、権利の主張はしたが(そしてその権利を勝ち得たが)、それに見合う義務を果たしていない、ということになる。
以上のことは、ごく常識的な範囲の考察で充分理解できることなので、楽団スタッフはこのことへの理解を深め、楽団にかかわる音楽家たちとよりよい関係を構築しなければならないのである。
はっきりいって、音楽家は恵まれていないのである。
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