我々は、ある人がどのような人物なのかを考えるとき、
その人の性別や職業、人種や国籍などを手がかりにしていることがしばしばある。
「銀行員」だから「まじめ」だろうとか、「ドイツ人」だから「律儀」だろうとか
思うことであり、これは、ある社会的カテゴリーに属する人たちに共通して見られる特徴を、
特定の個人にもあてはめて見ていることを表している。
こういったカテゴリー集団の成員一般について抱かれている
固定的イメージをステレオタイプという。
ステレオタイプは経験した知識からトップダウン的に自動的に処理することで、
それなりの確かさを持って認知する。
これはステレオタイプがヒューリスティクスと等価であることを示している。
ボトムアップ的に処理を行なうと確かさはあるが時間や労力がかかってしまうため、
通常はステレオタイプであるトップダウン的に処理を行なっている。
血液型と性格との関係はステレオタイプを形成することはできない。
あるカテゴリーについて抱かれている固定的イメージによって
ステレオタイプが形成されるのである。
ステレオタイプ的な見方は、当を得ていることもあるが、誤りを引き起こすことも多い。
なぜなら、私たちは、ステレオタイプに一致する事実により注目し、
ステレオタイプに合わない事実でもそれに合うように曲げて
理解してしまうところがあるからである。
たとえば、司書のステレオタイプ的特徴には、
「ローストビーフを食べる」「ワインを飲む」
「クラシックミュージックを聴く」「ゴルフをする」が挙げられるが、
ある司書に「ハンバーガーを食べる」「ボーリングをする」という事実があっても
職業ステレオタイプに合わない事実は忘れてしまうのである。
ステレオタイプが、対象に対する敵意や感情と結びつくと
偏見や差別をもたらすであろうことも用意に想像することができる。
たとえば、教師が生徒を見るときに、医者の子と普通の子とでは
ステレオタイプにより区別してしまい、医者の子が優れていると贔屓してしまうことがある。
また、白人のウェイターと中国人の客を考えたとき、
白人と中国人の間では「白人>中国人」といった差別関係が築かれるが、
ウェイターと客との関係では「ウェイター<客」といった関係が築かれ、
白人や中国人といったステレオタイプを否定し、
「白人のウェイター<中国人の客」といった関係となるステレオタイプを形成する。
さらには1950年代にオルポートらによる実験において、
アメリカの白人の被験者に、黒人とカミソリを持っている白人が描かれている絵を
ごく短時間見せたあと、誰がカミソリを持っていたかを訊ねたところ、
半数以上の人たちが、黒人がカミソリを持っていたと答えた。
このような判断の基礎に、黒人に対する偏見や差別が合ったことは明らかである。
以上のように幼少のころから偏見をつくらないようにすることが非常に大切であり、
偏見はあってはならないものである。
「現代心理学における情報処理パラダイムの重要性」 「演繹推理における思考と具体性」 「ステレオタイプと偏見について」